『希望の国』放射能まみれのがれきの中に希望の光を求めて|The Japan Times記事日本語版

The Japan Timesに掲載された公開中の映画『希望の国』の批評につき、
とても興味深い記事でしたので、記者の許可を得て英訳を掲載いたします。

Friday, Oct. 26, 2012 FILM REVIEW

『希望の国』放射能まみれのがれきの中に希望の光を求めて By マーク・シリング

 

 

ついこのあいだまで、園子温といえば海外では主に2001年の世界的なヒット作『自殺クラブ』に代表される衝撃的なカルト作品の監督としてよく知られていた。毎回衝撃度が高い監督の最新作は、これまでよりも深刻なものとなっている。『ヒミズ』はもともと不満を抱える若者を取り上げた日本映画の伝統に連なるものとなるはずだった。が、2011年、東日本大震災の直後に、園監督はこの作品を「苦悩する10代の少年と周囲の人々に三重の被災がどういう影響を及ぼしたか」というドラマに昇華させた。激しい暴力はいつものことだが、『ヒミズ』のエンディングでは予想外のカタルシスが得られる。

しかし、園監督にとって大震災というテーマはこれで完結したわけではなかった。最新作の『希望の国』は設定が近未来で、巨大地震の後、福島第一原発事故のような原子力発電所のメルトダウンに襲われた日本の一地方に住む住民たちを追う。脚本は園自身が手掛けたオリジナルの物語だ。『希望の国』は、チェルノブイリ以来最悪の原発事故から何も学ばなかったかのような電力業界と国民に対する皮肉に満ちた批判として読み取れる。1万9千人近くの人々が命を失った震災の直後に発表されたことを考えると、これがもし他の映画監督の作品であったなら、無神経な映画、さらにはシニカルな映画にすら思えたかもしれない。
しかし、本作での寓話的なアプローチは園監督の得意な手法であるということに加え(これまでの園作品の最高傑作、2008年作の『愛のむきだし』や2010年作の『冷たい熱帯魚』も同様に寓話的なトーンをとっている)、この主題に非常に適したものとなっている。生存者の体験談に基づいた自然主義的な「問題提起」型の映画では、福島をテーマとした多数のドキュメンタリー作品を向こうに回すことになり、おそらく分が悪かっただろう。しかし、架空の物語にすることで園監督は従来のリアリズムを超えて、しばしば惨事の根源となっている官僚社会の残忍さに鋭く切り込んだ風刺作品を作り上げることができたのだ。
そしてまた、この設定は『希望の国』に寓話ならではの普遍性ももたらした。天災であれ、人災であれ、または両方が重なった災害であれ、大災害が多発する現代において、この主人公の一家が抱える非情なジレンマは、我々にとって決して他人事ではない。

高齢の酪農農家の小野泰彦(夏八木勲)と、認知症に苦しむ妻の智恵子(大谷直子)は、無気力な若者である一人息子の洋一(村上淳)と、懐妊したばかりの妻いずみ(神楽坂恵)と一緒に田舎の村で暮らしている。向かいの隣人、鈴木一家も似たような家族構成だが、老夫婦(でんでん、筒井真理子)はどちらも達者で、長男のミツル(清水優)はまだ反抗期にあり、自慢の若いガールフレンド(梶原ひかり)を後ろに乗せてバイクで村を駆けまわっている。そこに大地震が起こり、近所の原子力発電所から放射能が漏れていることに、ガイガーカウンターを持っている泰彦は気づく(が、放射能漏れについての報道はない)。ただちに薄気味悪い白の防護服を着た作業員たちがやってきて、通りの真ん中に20キロ圏以内避難区域の境界線を引く。小野家は線の外側だが、鈴木家は強制退去させられる。しかし、お役所の公的発表を信じない泰彦は、手遅れになる前に逃げろと洋一といずみを説得する。お腹の子の身を案じるいずみは言われるまでもなくすぐに引っ越しをしたい心持ちだ。

その後展開するドラマには、3・11の際にメディアで報じられた不穏で衝撃的なニュースが盛り込まれているが、園監督は決してセンセーショナルな取り上げ方はしていない。被災者を「粛々と耐える聖人」として扱った典型的な報道のベールを切り裂き、多くの住民が実際に感じていた、決して高貴とは言えない生の感情を描き出す。一家が強制退去させられることへのミツルの怒り、見えない敵へのいずみの強迫症的な恐怖心。また、誰よりもそのリスクを熟知しているのに自分の土地に残ろうとする泰彦の頑迷な決意も、この映画を観ているうちに誰もが理解できるはずだ。物語は大半が泰彦の農場とその周辺に限定され、予算上の都合で原発の爆発事故や逃げ惑う群衆などの派手な演出もない。自然主義よりも様式的な表現を重んじる園監督のスタイルもあいまって、本作には一種演劇のような雰囲気も漂う。同時に、「立ち入り禁止区域」のフェンスが田園風景を剃刀のように切り裂く俯瞰的なカットなどの印象深い映像もあり、また、頑固一徹な泰彦を演じるベテラン俳優の夏八木に代表される俳優陣は、黙って耐える被災者という表の顔の裏に隠された心情を(少し芝居がかっているとはしても)鮮やかに表現している。

本作は、主人公たちにとって何が希望なのか、そもそも希望などあるのか、という点を明言するのを作品中ずっと拒み続ける。が、作品名にこめられた希望がようやく見えてきた時、それはとってつけたようなお涙ちょうだいの添え物ではない。そうではなく、原発のメルトダウンですら殺すことのできない、人が生きている限りは潰えることのない、人間の本能に根差すものなのだ。

 

 

Source | The Japan Times Online dated October 25, 2012 Film Review by Mark Schillings
翻訳:ピクチャーズデプト/岩木貴子 ※この翻訳版はThe Japan Times及び著者マーク・シリング氏の許可を得て日本語に翻訳し掲載しています。無断転載はご遠慮ください。