チェコ・プラハの出張中に意図的に休日を作ってみました
あ!帰りの飛行機の中で書きためて、放置していたのを思い出したので、
遅まきながらアップします。少しカレンダーを戻して、2月のチェコ出張です。
March 6, 2012
今回の出張は17日間と長期だった上に、チェコ→ロンドン→パリ→コヴェントリーと移動したので、
もはやチェコの思い出など、数年前のことのように感じられるくらいなのですが、想像していたより忙しくなってしまって、ブログの更新が出来ませんでしたので、なんとなく街の空気や風景を思い出しながら、プラハについて綴りたいと思います。
チェコに行くのは、初めてだったのですが、行く前の印象としては、元社会主義国ということもあって東側のベルリンのように、ちょっと地味で寒々しいグレーな感じ…を想像していたのですが、上陸してみてビックリ。
とても豊かで、活気に溢れ、それでいて、なにもかもがスピーディすぎないいろんな意味で「ちょうどいい」街だったように思います。大都会ではないし、とはいえ、田舎でもない。お天気に恵まれていたせいもあって、のどかな城下町がすっかり気に入ってしまいました。
どうやらプラハって自動車産業などが盛んで、労働市場は潤い、給与平均の高い国なんだそうです。確かに夜な夜なパブで陽気にビールを飲んでいるおじさんたちも、陽気で明るい感じです。
3日目の午後からは、休日と決めて、街をぶらぶらと歩き回ってみました。
プラハは縦横無尽にトラムが走っていて、どこへ行くにも、停留所からサクッとトラムを乗り降りして移動できる上に、全体も小さくコンパクトにまとまっている街なので、超がつく方向音痴の私でも移動はとってもカンタンでした。お城に向かっていく⇄お城から帰るのどちらかへ進んでいればなんとかなるのですから。
トラムの車窓から見えた景色につられてまずたどり着いたのが、小さな丘の上に立ち、街を見下ろしているプラハ城。
お城の門から後ろを振り返ると、プラハの街全体が見渡せ、真ん中へんには、あのモルダウ川が静かに流れているのが見えます。小学校の音楽の教科書でしかなかったモルダウ川を目の前にして思わずテンションがあがってきました。
このお城へ行く坂道の途中に「黄金小道」と名付けれられた本当に、本当に、小さな通りがあります。
ここには、大人が一人入ったら、ぎゅうぎゅうになってしまうような小さなお部屋がたくさん軒を連ねていて、まるで日本の江戸時代の長屋のような趣き。
いまでは、お土産屋さんや、小さなマリオネットのお店など、観光客向けのショッピングストリートになっていましたが、かつて、フランツ・カフカが住んでいた家などもあり、そして坂道の後ろには間近にお城を見上げる小道が続いていて、ほんとうに歴史を身近に感じさせるおとぎ話の舞台のような場所でした。
ヨーロッパの街並は、石造りの建物が多いので、風化に耐えて中性の趣がそのまま残っている場合が多く、近代化が進みすぎていないプラハの街は特にそうだったのですが、教科書の中の世界でしかなかった時代が、街角を曲がるだけで急に身近になったりしてほんとうに街全体がアミューズメントパークみたい。
計画では、ひとつの地区だけ回ってホテルに帰るつもりだったのですが、
あまりの街の可愛さと迷路のような石畳につられついつい、ぐるぐると迷い歩きをして、足がパンパンになってしまいました。
もう気分はすっかり、不思議の国のアリスです。
なんだろう?なんだろう?とワクワクしているうちにすっかり遠くまで来てしまった、そんな感覚。
翌日、こんどはプラハ城の裏からお城の坂を降りてきたところにある、こちらもそのまんま中世から残る教会や建物が軒を並べている通りをうろうろと歩きました。
途中、小さな入り口のアンティークショップを見つけて1950年代のジルコニアのネックレスを買ったり、クラシカルなカフェを見つけて、チェコのおばあちゃんの味、ザーヴィン(チェコ風アップルパイ)とホットワイン(チェコ風温かいサングリア)で一息ついてみたり。
そして、最後に、ユダヤ人街をそぞろ歩き。
かつてのユダヤ人の居住区を保存地区にしてあるテーマパークのような場所には、「入場料」を払って入ります。これ、結構高いです。
ユダヤ教会、旧ユダヤ人墓地、そしてお葬式が執り行われていた儀式の家など。
旧ユダヤ人墓地は、一体どうやったらこんなにぎゅうぎゅうに墓石が建てられるのか判らないというくらい、想像を絶するような墓地のあり方で、なんだか、京都にある化野念仏寺に似ているな、と思いました。
この墓地の一角に「儀式の家」があり、当時は霊安室の役割を果たす場所だったようなのですが、一通り見学を終えた頃にトイレに行きたくなった私。最寄りのトイレは、この儀式の家の地下。
冷たい石の螺旋階段を下りていくと、そこはダアレもいなくて冷たい石壁のトイレ。いかにも古い石塀の隙間から、無数の墓石がちょうど目線のあたりに見えています。
なんか、落ち着きません。。。。
こんなにコワいトイレに入ったのは、後にも先にもこのときだけ、と言えると思います。みなさんも、この界隈をお散歩されるときは、あらかじめトイレを済ませてからお散歩にでることを強くオススメします。
ここで安らかに眠る方々には大変失礼なのですが、なんか聖域を汚すようで、その遠慮感もコワさ倍増の理由ではないかと感じました。雰囲気は鬱蒼としているというよりも、むしろ清々しい空気ではあるんですけどね。。。
そして夕方も近づいてきた頃、プラハに行く人なら、絶対に訪れるという最大の観光名所、カレル橋を目指します。
実は私は今回は、ガイドブックを持たずに歩き出してしまい、ホテルでもらったマップを片手にぐるぐるしていたわけですが、話に聞いていたカレル橋がどこにも見当たらず、おかしいなぁ〜。こんな小さい街なのだから、すぐに判るはずなんだけど、、、と何度も何度も地図を見返し、地図にあるチャールス橋までたどり着いたときにはたと、カレル橋のスペルがCharles Bridgeであることに気がつきました。チャールズのチェコ読み?が「カレル」だったんですね。
へぇ〜〜。
とかなんとか言いながら、橋をずんずん渡っていくと、橋の真ん中あたりにある、彫刻のワンコに、観光客がこぞって触っていたのでなでなでしながらせっせと写真を撮ってる人に「このワンコ、なんかいいことあるの?」と聞いたら、
「シアワセになれるパワースポット」だと教えてもらい、早速私もなでなでしておきました。
古い彫刻なので、レリーフそのものは、青銅のように見えたのですが、なでられているワンコの頭だけが、つるつるの金ピカだったので、純金の彫刻だったのではないでしょうか?
さて、頭の中は終始スメタナのモルダウの流れがヘビロだったプラハ散歩。
カレル・チャペックに、ドヴォルザーク。そしてこの国の最大のアイコン、フランツ・カフカ。
気がつけば、結構好きなアーティストが揃っていたチェコ、プラハ。アートも街も、なんでもおいしい肉食系のチェコ料理もビール発祥の地のおいしい生ビールも、意外に美味しいスイーツが揃っているところも、プラハの滞在が期せずしてとても心地よかったのは、あれもこれもが、私の感性に合っている街だったせいかもしれません。
街の中心から続き、時計台や旧市庁舎を眺める「王の道」を歩きながら、プラハの王様って、背の低いコロっとしたかわいらしい王様だったような気がするなぁ、などと、根拠のない想像をしつつ、
「それにしても、カフカってクレイジーだよな、朝起きたら、ムシって…」
とかつぶやいていた、プラハの少し早い春でした。